『魔法のノート』  ~現実とは、単なる想いの投影です~

2015年1月 現実が創られる仕組みを攻略しました。

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ありのままの世界

エゴの正体は過去の自分です。

今の自分が過去の自分を許さない限り、過去の自分は今の自分を許してくれません。





過去の自分の行いを総て受け入れたとき、本当の自分を発見しました。

この時の感覚を物探しに例えるならば正に、眼鏡を掛けている自分に気付かずに眼鏡を探していた状態。

探すのを辞めた瞬間に、最初から自分で持っていた事に気が付く感覚だった。





この世界に、価値のある人間なんて何処にも居ません。

同時に、価値のない人間なんて何処にも居ません。


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名台詞



「わたしは “結果” だけを求めてはいない。


“結果” だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…


近道した時真実を見失うかもしれない。


やる気も次第に失せていく。


大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。


向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?


向かっているわけだからな…違うかい?」




解る人には解る、とある有名な漫画の殉職した警官の台詞より






“結果” だけを求めて人生を走り続けてきた「私の自我」の心に響きましたので転載します。

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殺仏殺祖


禅思想で、誰が言ったか知らないが、

「仏に会ったら仏を殺せ。祖に会ったら祖を殺せ。」

という言葉があります。


これは何を意味するのでしょう。

勿論、人それぞれ解釈は異なりますので、「その人なり」の答えがある訳です。

(釈迦が説いた真理は、「釈迦フィルター」を通した真理なので、気をつけて下さい。)





私は、以前所属していた宗教関係の影響で先祖を位牌で祀っていたのですが、この度、先祖供養という風習を卒業しました。

本日、房総の海岸にて、今まで祀っていた先祖の位牌を御焚き上げ(燃やして灰に)して、海に流して来ました。


以前所属していた教団の教えの先祖供養は、毎朝毎晩、仏壇の位牌に向かって挨拶し、更に一日三回、食事を出していました。



その挨拶の内容は、


朝の挨拶
ご先祖の皆様、おはよう御座います。いつもありがとうございます。
本日もご守護、お仕組み、賜れます様、謹みてお願い申し上げます。
本日も一日、宜しくお願い申し上げます。

夜の挨拶
ご先祖の皆様、本日もご守護、お仕組み賜りまして、誠にありがとう御座いました。
また、明日(みょうにち)も、ご守護、お仕組み賜りたく、謹みてお願い申し上げます。
本日は誠にありがとう御座いました。


てな具合です。


う~ん。。。 今思うと、実に、馬鹿馬鹿しい。

先祖に対して「ご守護、お仕組み」を感謝していることが、非常に馬鹿馬鹿しい。



そもそも私は、先祖に “守って貰わなければならない状態” なのだろうか?

誰にも攻撃されていない私が、“何について”守って頂かなければならないのだろう?

「お仕組み」に対しても、“現実は自分の心を映した映像”なのに

なぜその現実に起こった出来事に対して、“先祖のお陰”になるのだろうか?



私が生きてきた人生の現実に於いて、悪いことなど過去にひとつもありませんでしたし、今後もありません。

それなのに、何故「ご守護」をお願いしなければならないのだろう?



そもそも、先祖は子孫に頼らなければいけないのか?

少なくとも私の真理ではそんなことは無い。

肉体を失った存在は、子孫に依存しなければ苦しむのか?

そんなわけ無い。



つまり、

・先祖に 「ご守護」 をお願いする行為は、自分が何かに攻撃されていることを潜在的に認めることになる。
 (自分で敵を創りだしている状態)

・先祖に 「お仕組み」 をお願いする行為は、自分が非力であることを潜在的に認めることになる。
 (貴方は宇宙の創造主ですから、自分自身が非力であることを認めれば、もちろん非力になれます)

・位牌に先祖が掛かっていると決めつける行為は、先祖を狭苦しい位牌の中に閉じ込めることになる。
 (実は、貴方の “良かれの行為” が、自分の御先祖様を苦しめていたんですね~)

・位牌に食事を供える行為は、先祖は子孫に頼らないと空腹で苦しむということを認めることになる。
 (もう説明要りませんよね)


こんな馬鹿馬鹿しい先祖供養そのものが、御先祖様を位牌という檻の中に呪縛していたのだ。




私の先祖は、子孫のエゴの願いを叶える力はありません。

私の先祖は、子孫を守っていません。(子孫がご守護を必要としていないので)



私は自分の御先祖様に、とてもとても感謝しております。

だからといって、先祖を位牌という形で具現化し崇高なものとして拝み倒す行為は行いません。

感謝しているからこそ、“位牌という名の監獄” を破壊して 『自由の空』 へ解放したのです。
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